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神功皇后と広開土王の激闘 |
「目次」より |
はじめに--(1)ページ
第Ⅰ章 奇怪な神功皇后伝承--1ページ ●英雄か、反逆者か● 1.これは.陰謀の物語である! 日本古代史上のスフィンクス/住吉(すみよし)の大神(おおかみ)との密事/神功皇后は、無意識の世界で、夫仲哀天皇の死を願っていた/「神懸り」とは?/「神懸(かみがか)り」と「二重人格」/神功皇后のかくされた殺意/応神天皇の出自をめぐる諸説 2.武内の宿禰の遺伝子の繁栄 けんらんたる閨閥/蘇我氏の出自/武内の宿禰の実在性について/御所市(ごせし)の室宮山(むろみややま)古墳/武内の宿禰の長寿伝承/武内の宿禰は、孝元天皇からでている/磐之媛(いわのひめ)の嫉妬/佐々木尚文(しょうぶん)画伯の絵/キヨソーネの描いた神功皇后と武内の宿禰 第Ⅱ章 高句麗の広開土王との戦い--47ページ ●時代や史料の記事内容が一致している● 1.「朝鮮半島への出兵」は史実だ 神功皇后の活躍年代/第二十一代雄略天皇の「活躍年代」を、「基準点Ⅱ」とすれば、…/四〇二年前後の史実/高句麗の広開土王と戦った日本/「獲(う)るところの鎧甲(がいこう)一万余領」/倭の軍事的支配権は、朝鮮半島南部におよんでいた/神功皇后の実在説と非実在説/神功皇后は、実在の人物である/任那四県の割譲事件/倭軍の侵攻と軍事支配権の範囲 2.神功皇后伝承のなかの史実の核 日本がわ史書と朝鮮がわ史書との双方が記している/日本軍は、新羅の王城にいたった/抻功皇后の新羅征討の史実は、広く信じられていた/日本がわ史料と朝鮮がわ史料とが対応している/神功皇后の時代に、倭は朝鮮半島に進出した/新羅王子・未斯欣が、人質として日本に来た/王子未斯欣、新羅へ逃げて帰る/古代朝鮮でも日本でも、新羅王子の伝承はよく知られていた/中国史書の証言/古代の天皇の平均在位年数は、約十年/神功皇后は、やはり新羅に進出したのだ/神功皇后伝承の骨格/日本が朝鮮半島に出兵した理由/三五一年~五〇〇年の東アジアの大勢/日本は、新羅とは敵対的、百済とは友好的だった/『三国史記』の記事と『日本書紀』の記事とは、全体的傾向が一致する/東アジアの国際関係 第Ⅲ章 「倭の五王」の時代--129ページ ●讃・珍・済・興・武はだれか● 1.神功皇后と応神天皇の年代 二種類の史料/「抻功皇后紀」「応神天皇紀」の百済関係の記事/『日本書紀』の百済関係記事/百二十年くりさげただけでは、史的実年代に達しない/『日本書紀』記載の年代の性質/年代論における「類ハッブル定律現象」について/舞台装置からみた年代 2.五世紀の五人の倭王 倭の五王についての記事/最初の研究者、松下見林/那珂通世(なかみちよ)の研究/第二次大戦以前の研究/前田直典の新説/応神天皇の年齢/魏や後漢の皇帝たちの即位年齢/神功皇后の「摂政」について/『三国史記』や「晋書」にみえる「摂政(せっしょう)」/倭の五王の比定/「倭王讃=仁徳天皇」説について/「応神天皇陵古墳」の築造年代/『古事記』の「没年干支」について/崇神天皇の没年推定/用明天皇から、各天皇までの平均在位年数 3.倭の五王の系譜と名前 倭の五王の系譜/倭王の名前の書き方/倭王「武」の名の由来/倭王「讃」の名の由来/倭王「興」の名の由来/雄略天皇の即位の年/雄略天皇即位の事情/世子興は、木梨軽(きなしかる)の皇子(みこ)か/「世子興=木梨軽の皇子」としたばあいの、「興」の名の由来/倭王「済」の名の由来/倭王「珍」の名の由来 4.雄略天皇(倭王武)の人物像 きわ立つキャラクター/雄略天皇の外交/稲荷山鉄剣銘文の発見/稲荷山鉄剣銘文とその訓読/「杖刀人(じょうとうじん)」の意味/江田船山古墳出土鉄刀銘文/少子部(ちいさこべ)の蜾羸(すがる)の話/雷をつかまえた話/童女君(おみなぎみ)の話/引田部(ひけたべ)の赤猪子(あかいこ)の話/一言主(ひとことぬし)の神とブロッケンの妖怪 第Ⅳ章 謎の七支刀--251ページ ●この刀は、百済の肖古王、わが国の崇神・垂仁天皇の時代に作られた● 「神功皇后紀」の百済関係記事について/石上神宮七支刀(しちしとう)/キーワード「聖晋」/「聖音」ならば、その意味は?/「聖晋」の音は、「せしむ(王子)」という古代朝鮮語とほぼ正確に一致する/「奇生聖音」が「貴須王子(きすせしむ)」である理由/宮崎市定(みやざきいちさだ)の批判はあたらない/「倭王旨」とは、崇神大皇のこと?/崇神天皇の年代/『新撰姓氏録』の記事/「倭王旨」に、垂仁天皇をあてたばあい/「冝供供侯王」 おわりに--288ページ 掲載図版一覧 ★地図 地図1 名柄(ながら)と室宮山(むろみややま)古墳の位置--31ページ 地図2 5世紀ごろの倭、百済、高句麗の3国の勢力範囲--63 地図3 6世紀の朝鮮半鳥南部--78ページ 地図4 倭の最大侵攻領城と、領域が時代とともに失なわれて行く状況--82・83ページ 地図5 「東夷伝」による諸民族の地理的位置--115ページ 地図6 古市郡から飛鳥戸郡へ--189ページ 地図7 石上神宮のある場所--255ページ ★図 図1 第10代崇神天皇の活躍年代・没年推定図--50・51ページ 図2 神功皇后の活躍年代と当時の事件--52ページ 図3 天皇の時代別平均在位年数--106ページ 図4 天皇の世紀別平均在位年数--107ページ 図5 西暦351年~500年の東アジアの国際関係--120ページ 図6 350年以前の東アジアの国際関係--125ページ 図7 501~600年の東アジアの国際関係--126ページ 図8 670年ごろまでの東アジアの国際関係--128ページ 図9 『日本書紀』と『三国史記』および「広開土王碑碑文」の記載--144・145ページ 図10 中国がわ系譜と日本がわ系譜--167ページ 図11 応神、仁徳、履中、反正、允恭、安康、雄略の諸天皇の活躍時期の推定--178ページ 図12 応神、仁徳、履中、反正、允恭、安康、雄略の諸天皇の活躍時期の推定(『古事記』『日本書紀』による没年追加)--194ページ 図13 第10代崇神天皇258年没説--198ページ 図14 第10代崇神天皇318年没説--199ページ 図15 箸墓古墳の桃核試料が、西暦300年以後のものである確率--203ページ 図16 「第31代」用明天皇から、各天皇などに至るまでの、平均在位年数--206・207ページ 図17 系図が一致しても--209ページ 図18 応神、仁徳、履中、反正、允恭、木梨の軽の皇子、安康、雄略の諸天皇などの活躍時期の推定--225ページ 図19 みそさざい--230ページ 図20 ブロッケン現象--249ページ ★表 表1 用明天皇についての『古事記』『日本書紀』天皇の記述--51ページ 表2 用明天皇についての『古事記』『日本書紀』の記述(拡大再掲図)--109ページ 表3 60干支--136ページ 表4 中国文献の倭の五王関係記事--157~161ページ 表5 中国文献の撰者--161ページ 表6 倭の五王比定の諸説--167ページ 表7 『日本書紀』と『東国通鑑』の百済王没年など--169ページ 表8 後漢の皇帝の即位時の年齢など--174ページ 表9 魏の皇帝の即位時の年齢など--174ページ 表10 倭の五王の墳墓(伊藤友一氏による)--183ページ 表11 畿内における大型古墳の消長--186・187ページ 表12 「没年干支」による天皇の没年--193ページ 表13 『古事記』の記す没年と『日本書紀』の記す没年との差--196ページ 表14 『古事記』の「没年干支」による天皇の没年と在位年数--200ページ 表15 「呉(くれ)[久礼(くれ)をふくむ]」という語の出現回数--233ページ 表16 『日本書紀』『古事記』の「呉(中国の宋)」関係記事--233・235ページ 表17 中国正史中における倭の五王の名の出現頻度--236ページ 表18 刀剣銘文のスタイルには、共通性がある--278ページ 表19 『古事記』の記す在位年数--282ページ ★写真 写真1 キヨソーネ--43ページ 写真2 紙幣に描かれた神功皇后と武内の宿禰--44・45ページ 写真3 広開土王陵碑--57ページ 写真4 「広開土王碑碑文」(第1面の一部)--57ページ 写真5 鉄鋌(韓国釜山市福泉洞古墳群出土)--75ページ 写真6 稲荷山鉄剣と銘文の筆写文字--236ページ 写真7 江田船山古墳出土大刀の銀象嵌銘文--241ページ 写真8 北斉墓誌の「晋陽」--261ページ 写真9 晋中書令王献之書の「晋」の字--262ページ ★コラム コラムⅠ 干支による紀年法--134~137ページ コラムⅡ 稲荷山鉄剣銘文とその訓読--238・239ページ ★系図 系図1 応神天皇についての系図--19ページ 系図2 武内の宿禰の子孫の系図--24・25ページ 系図3 武内の宿禰の系図--36ページ 系図4 大中津比売(おおなかつひめ)の命の系図--70ページ 系図5 神功皇后の系図--71ページ 系図6 天皇の系図--105ページ 系図7 百済王の系図--211ページ 系図8 初期百済王朝系図--273ページ |
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